HOME>富貴蘭徒然>Carol  Helen  Beule(American  Orchid  Society・NYC)

〜 from U.S.A 〜

Carol  Helen  Beule(American  Orchid  Society・NYC)

Carol

私の仲間であるアメリカ蘭協会の審査員は、私に「鉢」について書くことを提案してくれました。「鉢」といっても皆様が愛してやまない「富貴蘭鉢」のことです。私が富貴蘭鉢を作るようになったいきさつや、富貴蘭を育てるきっかけなどを述べたいと思います。

私の祖父は庭師であり、さまざまな植物を育てていました(もちろん富貴蘭を知る由もありませんでしたが)。父は生態学の研究者でした。祖父も父も、自ら家具を塗装したり、組み立てたりしていました。私も見よう見まねでその技術を学びました。ただ、大人になってからその技術が活きるとは思わず、理系の大学に入学しました。その後、私は芸術に惹かれ衣装デザイナーになります。それから富貴蘭を育てるまでには、さらに25年を要しました。

浮世絵

私が初めて衣装を作成したのは1880年代の日本を舞台にしたプッチーニのイタリアオペラ「蝶々夫人」の研究発表でした。アメリカ軍のキャプテンと日本人女性の悲劇的なラブストーリーです。私は西洋の観客は本物の着物を衣装として用いた作品を見たことがないと思い、試してみることにしました。そもそも、この作品自体が私の好みであり、また私の手元には17〜19世紀の浮世絵がありました。とくに18世紀頃の日本の木版画が大好きで、今でも集めています。上のスケッチはこのオペラのために描いたものです。日本の線画や空間配置に影響を受けた衣装スケッチです。描いた時は20歳でした。鈴木春信、東洲斎写楽、鳥居清永、北川歌麿の作品を、線、形、色の基本的な使い方まで理解し、洋画に取り入れました。

その後、和装について大学で7年間研究し、衣装と照明デザインの修士号を取りました。その後40歳までは、日本の文化について学ぶ機会はありませんでしたがNorito Hasegawa and Satomi Kasaharaと友達になったことを機に富貴蘭を育て始めてから一変します。それまで蘭を15年も育てていましたが、富貴蘭を購入したのは初めてで、その香りに恋しました。そして、富貴蘭を愛して止まない方々を取り巻く文化、富貴蘭の楽しみ方について興味が湧きました。

その後、カリフォルニアで行われる夏の蘭会議に富貴蘭を展示することになり、富貴蘭鉢が必要になりました。その時、私が素敵だなと思っていた富貴蘭鉢はアンティークで非常に高価であることを知り、それならばと自分で作ってみることにしたのです。これが12年前のことです。

この12年間、日本の文化と芸術についてできる限り学ぼうと努力し、京都・奈良の主要な博物館と寺院を訪れ、写真を撮りました。それでもまだ訪れることができていない名所がたくさんありますから、いつか他の地域も訪れて学びたいと思います。私の本棚には読み切れないほどの日本に関する本が並んで重たくなっていますが、充足感でいっぱいです。以前から素晴らしいと思っていた美しい古鉢もいくつか入手できました。そもそも私は小さい頃から日本文化に興味があり、帯や着物を持っていました。

鉢

鉢

鉢

左は10年前に作った鉢で、アメリカ蘭協会の展示会で賞をもらった際の写真です。中央の鉢は最近のもので、私が学んださまざまなテクニックを駆使して作りました。私は筆で絵を描くことができるので、富貴蘭鉢の絵付けによく見る「点描法」は用いません。私が作る鉢は西洋の愛好家に日本の芸術の良さを咀嚼して伝えつつ、日本の愛好家の好みにも合致した鉢でありたいと思っています。私の手法に関して、4年前に日本富貴蘭会のミーティングで意見を伺う機会がありました。会員の方々は私にアイデアを提供してくださり、その上さらに感謝までしてくれました。希望的観測ではありますが、私が作る富貴蘭鉢は西洋と東洋の文化の橋渡し役になるのではないでしょうか。日本の伝統芸術のモチーフ、色、イメージを踏襲しつつ、私が幼い頃から培った感性を足しています。さながらアール・ヌーボーが日本の芸術の影響も受けながら新たな西洋のアートフォームを構築したように、私は富貴蘭鉢で2つの文化の融合を試みています。

鉢

もっと日本に滞在して、古鉢のコレクションが豊富な日本富貴蘭会のメンバーと会いたいです。皆、芸術性が高く、インスピレーションが湧きます。もう一度、富貴蘭の美しさをみんなで楽しめる日が楽しみです。